【毒母でしたが、それを打ち消すほどの力が!】


お母さんのヒーリングボイス

 

こんばんは!

 

なぜ私が
声にこだわる子育ての講座を作ったのか、
なぜ、
こんなにもお母さんの声にこだわるのか?

 

私の体験を通してお伝えしています。

 

長くなりますが
どうぞお付き合いください。

 

まずは母の声で
命が救われたことをお伝えしました。

その後、
母の声が聞こえてきたのは
あと2回。

 

私の中では、
母を失ってからのことになります。

 

というのは、

私の母は70歳で
アルツハイマー型認知症になり
83歳で他界しているのですが、

 

この病を発症して以来ずっと
姿形、話し方、声、なにもかも
全く違った人格に
なってしまったと言っていいほど
変わってしまったのです。

かなり恰幅の良い体型の
明るくて朗らかな母は、
どこかにいなくなってしまいました。

やせ細り、
不安そうに暗い顔をしている
ことの多い人になってしまったのです。

 

もちろん声も朗らかな
あったかい声ではなくなりました。

ですから
私は

母を2度失うことになるんだな、
と本当に悲しく思っていました。

 

そんな風に思っていたある日、
私は母の歌うわらべ歌に出会います。

遠野の語り部
阿部ヤエさんの書いた
わらべ歌の本を読み始めた時のこと。

 

本の中に書かれた
わらべ歌の活字が

なんと、
母の声になって
頭の後ろから聞こえてきたのです!!!

そして朗らかな笑顔で
赤ちゃんをあやしている母の
楽しそうな笑顔が
くっきりと浮かんできました!!

もう腰を抜かしそうに
びっくりしました。

 

こんな風に若い頃の母に出会い
その声を聞くことができるとは!!!

そして

この時、私は
自分が母のわらべ歌で
育てられたことを知ったのです。

東北のわらべ歌は
こどもを育てる歌でした。

 

赤ちゃんを育てる歌
として体系立てられ
伝承されていたのです。

そのわらべ歌をうたう
母のあったかい声が
私の中に
しっかり息づいていたのです。

嬉しいのと哀しいのがごっちゃになって
泣けて泣けて泣けて、、、泣きました。

その時から私は
絵本を読み語るだけでなく
わらべ歌を伝承していくことに決めたのです。

 

幼い時に聞いた
母のあったかい声は
必ずこどもの体の中に
深く深く入り込んでいるのですから。

 

 

三島成真寺こども広場と称して
毎月1回
未就学、未就園のお子さんと
お母さんのために
わらべ歌と絵本、
木のおもちゃを持って
遊びの会を開いています。

 

ここで

 

母のあったかい声が聞こえてくる
わらべ歌を
今も皆さんと楽しんでいます。

 

 

そして最後に出会ったのは、、、

 

ではまた、明日♪

(*^_^*)